クリアソン新宿を応援してくださる皆さまが、選手とともに「新宿」という街をアートの視点から知る―。そんなユニークな体験が、1月22日、クリアソン新宿とSOMPO美術館のコラボレーションによって実現しました。

新宿西口近く、法人パートナーであるSOMPOホールディングス株式会社の本社ビルに隣接するSOMPO美術館は、安田火災海上本社ビル(当時)内に1976年に開館し、2020年からは地上6階建ての美術館専用の建物に移って、今年7月に開館50周年を迎えます。

同館で2月15日まで開催中の企画展「モダンアートの街・新宿」を舞台に行われた本イベントは、メンバーシップ会員限定の企画。閉館後の展示室を貸し切り、阿部雄太、島田譲、澤井直人の3選手とともに、学芸員によるギャラリートークを楽しむ特別な時間が用意されました。

選手とアートに関心を持つファンが同じ空間に立ち、同じ作品を見つめながら、新宿という街の歴史や魅力を再発見していく。「サッカーを通じて、街と人をつなぐ」というクリアソン新宿の考えを、アートという切り口で体感する初の試みには、13名の会員が参加しました。

スタジアムや交流イベントを通じて顔なじみの参加者も多く、澤井の進行で終始和やかな雰囲気の中、イベントはスタート。阿部は「家族と一緒に何度か来たことがあります。サッカーは人の心を動かすものですが、アートもまさにそう。今日はその感覚を学んで、サッカーにも活かしたい」と話しました。一方、島田が「美術館に行った記憶が一度もなくて」と打ち明け、驚かせる一幕もありました。

SOMPO美術館の50周年記念コンセプトは「美術・新宿・ココロの再発見。」。新宿という街と、美術館、そして来館者がどのような新しいつながりを生み出せるのかを模索する1年でもあります。

展示室のある5階から3階まで下りながら、約3年前に本企画を立ち上げた古舘遼学芸員自らが解説を担当。「新宿」をテーマにした企画展は、同館としても初の試みだといいます。

中村彝《頭蓋骨を持てる自画像》1923年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館

中村彝の《頭蓋骨を持てる自画像》の前では、1909年に支店を現在地に移し本店とした中村屋を拠点に、新進芸術家が集っていたサロンの存在などが紹介されました。「宗教画のような印象がありますが、何か関係があるのですか」「そもそも、なぜ自画像を描くのでしょうか」といった参加者の質問にも、丁寧に答えていきます。

小泉清《向日葵》1944年 早稲田大学 會津八一記念博物館

小泉清《向日葵》の前では、清が小泉八雲の息子であること、そしてSOMPO美術館が所蔵する代表作がゴッホの《ひまわり》であることから、同じモチーフを持つ作品を展示に組み込んだ背景など、展示構成の“文脈”が語られました。

佐伯祐三《下落合風景(テニス)》1926年 新宿区(落合第一小学校)

続いて紹介されたのは、佐伯祐三《下落合風景(テニス)》。現在の西武新宿線・中井駅周辺には、かつて中村彝ら多くの芸術家が集住しており、その当時の風景が描かれています。クリアソン新宿が練習拠点としてきた落合中央公園も、このエリアに位置します。参加者は、絵画を通して街の過去に思いを馳せました。さらに、木村荘八の1935年の作品《新宿駅》からは、和装と洋装の人々が入り混じる、当時の新宿のにぎわいが伝わってきます。

松本竣介《立てる像》1942年 神奈川県立近代美術館

本企画展の中心に据えられているのが、松本竣介《立てる像》。新宿の街の中に仁王立ちする自画像を描いた大作について、古舘学芸員は参加者との対話を交えながら、堂々とした立ち姿とは対照的にどこか頼りなさを感じさせる目、背景を小さく描くことで人物を際立たせる構図など、描写の工夫を解説しました。

最後には、同館収蔵作品である東郷青児《超現実派の散歩》が紹介され、この自由な姿が50周年記念ロゴにも採用されていることが明かされました。

思い思いに見て回る時間もあった後、イベントの締めくくりに、澤井は次のように語りました。「島田が話していたのですが、アートは“考えるもの”じゃない、“感じるもの”だと。その人の背景を知ることも必要ですが、まずはどう感じたか。その感覚が一番大事。今日の古舘さんの解説を聞いて、改めてそう考えることができましたし、これをサッカーに活かしていきたいです」。

参加者からは「普段は自分だけで、こんな感じかなと思って見ていたのですが、専門家の見方を教わるとすごく感動するものがありました」「ぜひまた来たい」といった声が聞かれました。

終了後も参加者から声を掛けられていた古舘学芸員は、「思いがけない質問をいただいて刺激になりましたし、『なぜこの作品を推しているのですか』と聞かれて、そうした大本の話もできて、とても楽しい時間でした。今日お話しできたのはほんの一部ですが、共有できたことが嬉しいです」と、笑顔で振り返っていました。